50周年記念事業への御意見・ご質問は下記のアドレスまでお問い合わせください
kouda50_kouhou@yahoo.co.jp
●早食いと、原始人食い
小学校の時は、必ず「早食い競争」をしていた。なぜなら1分でも早く運動場で遊びたいからである。
そのため、コッペパンをギュウギュウに握りつぶして、「原始人食い」をしていた。また、たまに学校の机やランドセルの整理をするとなぜかカビが生えたコッペパンが出てきた。まいった。
給食時にはいつも、どこかの班がレクレーションをしてくれたのでとっても楽しかった。
S54年卒 T
●教室の水槽
当時の教室には、いつも誰かが捕まえてきた、カエルやザリガニ、水カマキリ、タイコウチ、フナなどの入った水槽があってにぎやかだった。
生物クラブだった私は、カエルの解剖をすることになって、高田川から獲ってきたカエルが対象となってしまい、「カエルの青春は一体どうなるとや」と先生にくってかかったが、最後は説得されてしまった。今でも複雑だ。
S54年卒 T
●校内年賀状
正月は楽しみでならなかった。校内年賀状があるからである。みんな友達に夢中で年賀状を書いていた。年賀状を書くための消しゴム印鑑やあぶりだしも学校で習ったような記憶がある。
校内に各地区のポストがあり、投かんした。元旦当日は、地区の係が手分けして皆に配達した。
本当に正月の楽しみの一つだった。そんなだからみんな家を知っていたしみんな仲間で地区のつながりは自然と強くなった。今は個人情報は守られているかもしれないけど、僕らの頃がきっと楽しかった。
S54年卒 T
●遅刻
卒業を間近に控えた、ある寒い朝。学校に着いたとき、グランドがにわかに賑わっていました。その中心には見覚えのある白い犬がいました。そう我が家の愛犬「モモ」です。今では考えられないですが、我が家の犬は山の近くに住んでいたこともあり、つないだり放し飼いにしたりしていました。おそらく近所の下級生にノコノコついて行ったのでしょう。あんなにはしゃいでいるモモは初めて見ました。 が、とにかく連れて帰らないといけないと考えるとゾッとしました。なぜなら、始業時間まではあと10分程度。私の家まで連れて帰って戻るとなると、30分は遅刻するのは間違いありません。 で、僕が軽くパニくっていると、同じクラスの仲間が5人、集まってくれました。相談した結果、現在の高田公民館、その当時の高田コミュニティセンターの裏に連れて行こうということになりました。まず、ヒモを拾おうと探し回り、水を与えるための皿(結果はバケツ)を探し、最後に、館長にお願いしますと挨拶をして、6人で教室に向かいました。 結果をいうと、みんな30分程遅刻して、えらいこと怒られました。教室の前に6人並ばされて、授業中にもかかわらず、先生に説教を延々と賜りました。先生に、愛犬モモの説明をしても聞いていただけません。僕の責任で他の5人も怒られている状況にひどく申し訳なく思い、私は一人泣いていました。悔し涙なのか、嬉し涙だったのか今ではよく覚えてませんが、今でも嬉しかった思い出として、たまに思い出します。 思い返すと、あの頃の僕に、一緒に遅刻をして一緒に怒られてくれる友達がいたことを誇りに思います。また、友達が困っているときは助けるという当たり前のことを、自分自身出来てるか、いつも考えされます。昭和58年卒業 M
・ミカン
高田小の思い出といえば、学校帰りに裏山のミカン畑の道側にはみ出したミカンの木から、まだ色の変わっていない緑色のミカンを千切って食べながら帰っていたのを思い出します。今思えば、ミカン農家の方には申し訳ないんですが、あの甘酸っぱい味が今でも忘れられません。
昭和62年 卒業 A